Mりん先輩、調子が出てきて第2弾。
こうして書いていると、外国に行きたくなって仕方ありませんね。
ポルトガルってどんなとこ?
実はよく目にしていたかも…
消臭力(ショーシューリッキー)のミゲル君でおなじみのCMは
リスボンで撮影されてます
エッグタルトでも食べながら読んでください。
日本語の中には、ポルトガル語を語源としている言葉が、たくさんあります
例えば、パン、コップ、カッパ、カルタ、マント、ボタン、オルガンなどです
私も知ってる!
ビードロ、しゃぼん、おじや、メリアス編み、リアス式
などなど
パンは英語だと思っていたあなた! 残念ながら間違いです
パンは英語でブレッドといいます
南アフリカの名物にペリペリソースと言うものがあります。
これ、南アではポルトガル料理とされています。
ぺりぺりってスワヒリ語っぽいよね。
何語か分からないけど唐辛子って意味みたい。
つまり辛いソースです。
日本語の”舌がピリピリする”のピリピリと同じ語源だという情報を昔聞いたような…
お菓子の中にも、ポルトガル語が残っています
カステラ、ボーロ、ビスケット、こんぺいとう、など、数えたらキリがありません
”ピンからキリまで”という言葉も、ポルトガル語からきています
ピンは点を意味する”ピンタ”、キリは十字架を意味する”クルス”に由来するといわれ、
十が最後の数字というところから、”最初から最後まで”という意味になったそうです
(キリは日本語の切りが語源という説もある)
こんなに多くの言葉が残っているのは、16世紀以降の南蛮貿易により、多くの交流があったからです
料理でも南蛮漬けって言葉つかうもんね。
「南蛮」は、東南アジアを経由してやってくるポルトガルやスペインを指し、香草、香辛料と油を用いた新しい調理法ということ。鴨南蛮とかだね。
当時の戦国大名にとって、ポルトガルとの貿易は、藩の財政を潤すものであり、そのかわりに宣教師たちの布教活動を認めていました
ポルトガルの商人にとっても、日本の言葉や文化に通じている宣教師たちは、貿易をすすめるうえで、重要な人材でした
知ってる!フランシスコザビエルだね。
サンピエトロ寺院やカレル橋でも会えるね!
その宣教師や貿易商人を通じて、多くの日本の文化や貿易品がヨーロッパへ伝わりました
ポルトガルの各地には、当時日本から来たイエズス会の少年武士たち(天正遣欧使節団)ゆかりの場所も残されており、日本との交流の深さを感じることができます
彼らがリスボンに着くまでにかかった時間は往路だけで2年半。
飛行機12時間+アルファで文句を言ってはいけません。
そして千々和ミゲルだけが帰国後キリスト教を捨ててます。
奴隷制度や異国侵略のための宗教といった部分に疑問を抱いてしまったようです。
日本と同じように、海に面した港町が多く、お魚をよく食べ、優しい国民性で、歴史を大切にする、そんな、親近感のわく小さなポルトガルという国に、一度訪れてみてください
そんな、ポルトガルにぴったりな曲は、八代亜紀の”舟歌”です
ポルトガルにも、哀愁漂う”ファド”という大衆音楽がありますから
以上
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